Pasaka の始まりのストーリー
「Pasaka」はリトアニア語で「ものがたり」という意味で、2009年の夏にオンラインショップとしてひっそりとスタートしました。
今回は、そんなPasakaがどんな風に始まったか、ということをちょっとご紹介したいと思います。長くなりますが、もしご興味ありましたらお読みいただけると嬉しいです。
オープン当初は「One Story」という店名で、ETNOハーブティー、ミツロウキャンドル、手織りリネンと天然の蜂蜜を少し扱うネットショップとしてのスタートでした。(あれれー?今でもあまり商品種類、増えてないかも?ですね!すみません!催事ではネットショップにないクラフトをいろいろ出していますー。汗 )
Pasakaの商品には、一つ一つににストーリーがあるということで、その商品ができた背景や作り手さんたちのこと、リトアニアやその周辺地域の文化にも触れていただき、日本の方にもお楽しみいただければ、と考えています。
私、店主の鳴海は2004年に初めてリトアニアを訪れ、その後2005年より2年ほどリトアニアに留学しておりました。
当時のリトアニアはEUに加盟してほどなく、現在のリトアニアとはまた違う社会経済状況でしたが、そこでリトアニアの文化や自然、人々の生活に触れ、大きな感銘を受けました。
まず心動かされたのは、手付かずの豊かな自然。針葉樹が広がる大地。透き通る湖があちらこちらに点在し、都会から来た私は頭痛がするほど、空気が綺麗で澄んでいました(笑)。(実際、大都市から来た人たちはリトアニアの田舎の綺麗な空気でそのような現象に見舞われることがあるそうです。空気の構成が違いすぎるとそうなるとのこと)森に入ってきのこやベリーを摘んだり、薪を切り出したり。湖で泳いだり、遊んだり。当時田舎の方では牛や鶏、豚などを飼育している家も割と普通で、バターやソーセージを手作りしたり、毎日しぼりたての牛乳を飲んだりしてしました。自家菜園で野菜や果物を育て、冬に備えてピクルスやジュースを大量に作り、ほぼ自給自足に近い生活を送る人たちも多くいらっしゃいました。ハーブを野原や森で摘んでお茶にしたりスパイスにしたり。養蜂をしている家も多く。。それに家やサマーコテージを自分の手で一から建ててしまう人も珍しくなく。
質素ながらも、自然に溶け込んだ暮らし。
それはソ連の政治体制から余儀なくされた一面でもありながら、大都会で育ち最後に土に触れたのはいつだかすら忘れてしまった私はリトアニアの人たちのオールマイティーさと逞しさに衝撃を受け、尊敬の念を抱いたのです。
それになんといってもそのセンスとクリエイティビティー。
お店で売っている「モノ」の種類は日本に比べてとても少ないのですが、その分、自分たちで作り出す、生み出す、その素晴らしさ。それは手作りの工芸品などによく表現されており、お祭りのたびに、そういう品物との出会いに心が躍りました。
どこを見ても絵になる美しい自然に囲まれてインスピレーションに事欠かない環境。幼い頃から色彩感覚が育まれ、風の音や植物が運ぶ季節の香りにも敏感で、何かを作ったり、生み出すのも日常の一部になっているという背景があるからでしょう。初夏には森で色とりどりの小花を摘んで冠にして遊ぶ、夏には湖に飛び込んだり、ベリーを摘んだり。秋にはキノコを探し、いろとりどりの落ち葉を集めて花瓶に生ける。銀世界に染まる冬はそり滑り。そんなふうに子供時代を過ごしたのなら、想像に難くないはずです。リトアニアの人たちの感性や創造力はリトアニアの、そして世界の財産だと思います。
留学から帰国し、ひっそりとお店を始めた後も、またリトアニアに長く暮らす機会がありました。
そこでもリトアニアで素晴らしい友人たちを得、様々な場所を訪れたり、楽しい時間を過ごしたり、良い経験をさせていただいたり…。試練も含めて非常に多くの学びを得ることができました。いろんなお話を少しづつご紹介できればと思っています。
リトアニアとの出会いは私の人生の財産として、これからも大切にしたいと思いますし、その魅力を何らかの形で、これからも、たとえ細々とでもご紹介してゆくことができればと思っています。
ありがとう、リトアニア!ありがとうリトアニアのみなさん!
おおらかに笑ったり、楽しく歌ったり、踊ったり、思いのままに怒ったり、涙したり、興味がないと無表情を貫く、、そんな皆さんが大好きです!