歌と踊りの祭典
毎年夏に行われてきた【歌と踊りの祭典】ですが、この祭典は1924年に【歌の日】としてカウナスで行われたのが第1回目ですので、今年2014年で第90回を迎えました。
他のバルト諸国同様、ソ連併合など困難な歴史的道のりの中で、厳しい時代には歌を口ずさむ事すら危険視され禁じられていたので すが、そうした中で民俗的な歌や踊りはリトアニア人としてのアイデンティティーを守るために、また人々を結束させるために重要な役割を果たしてきました。この毎年の行事のためにリトアニア各地からコーラスや踊りのグループがヴィリニュスに続々と集まってきます。今年は90周年ということもあり、規模も大きく、宣伝も大々的です。街中はお洒落なビリニュスっ子や観光客に入り混じって沢山の民俗衣装の人たちが行き交い、いつもとはまた違う様子でした。
会場は街中の公園や丘、大聖堂前の広場という中心地はもちろん、街中から少し離れた大きな公園やサッカースタジアムまで、ビリニュスのあちらこちらです。こちらは街中にある「ベルナルディナス公園」会場。街中のそれほど大きくない公園ですが、公園の中にいくつか小さなステージがあり、いろいろなグループが歌います。
こちらはカウナスからのグループ。笑顔がステキな女性達。快く撮影に応じてくれました。左の女性は生花の冠をかぶっています。
ここぞとばかりにお洒落をするおばあちゃん達。この時期は仕事にならないそう。
カウナスやクライペダなどの大きな町はもちろん、小さな田舎町からも人が集まります。非常に多くの人たちが手弁当でこの日のために集まるので、街側は大学や学校などを宿泊所として受け入れたり、お昼ご飯を振る舞います。ステージ上に限らず、思いつくまま、気ままにあちらこちらでグループが歌っていました。芝生に寝そべって休んだり、遊んだり。「コンサート」という堅苦しい枠組みの中ではなく、皆がのんびりと楽しいひと時を過ごしている中に、歌と踊りがある、そんな自然体な雰囲気でした。
沢山の子ども達も参加しています。空いている時間に遊んでいました。
物語の中のような光景でした。
お祭りのムゲでは伝統工芸を披露している親子も。絵になってます!
こちらは大聖堂前でのコンサートの様子。こちらも終日各地方からのグループによる歌が披露されていました。
翌日、日曜日にはサッカースタジアムで行われた「踊りの祭典」を見学しに行きました。夜の会のチケットは完売でしたが、昼の会はまだゆとりがあったので、お昼12時からのショーに行きました。こちらも数千人が参加しているとのこと。非常に大勢の参加者が各地から集まり、一斉に踊るので、息を合わせるのも、まとめるのも、進行は大変なものです。舞台袖では担当の人たちが始終大声で指示を出していました。
この日は真夏日。炎天下のもと、踊り手の皆さんはウールの民俗衣装を身に付け、汗だくで頑張っていました。本当にお疲れ様です!体調を壊さないように祈るばかりです。踊り自体は「可愛らしく、とってもゆる~い、マスゲーム」という印象でした。リトアニアの昔ながらの生活や伝統がテーマに織り込まれた踊りも多かったです。例えば、若い女性たちが糸をつむぐ様子、若い男性達が馬にのって野良仕事をする様子、中高年の女性たちがバター作りをする様子や、男性達が畑しごとをする様子、などなど。年代による役割やしぐさ、そして人々の暮らしの様子が反映された踊りが多く見られました。また小さい子どもたちとおばあちゃん達の掛け合いのある踊り(一緒に遊んだり、物語を読んでもらう様子を表現するなど)もとても可愛らしいものでした。そして男女が陽気なポルカのリズムに合わせて踊るペアの踊りももちろん沢山ありました。
リトアニアの学校ではこういった民俗的な踊りのサークルも多く、授業で取り入れられることもあります。一緒に見ていた母と「日 本じゃ、男女が手をつなぐ踊りなんて小学校のフォークダンスくらいよね。こっちの子どもたちは小さい頃からこうして普通に手を取り合う踊りに慣れているの ね。」と話をしていました。
最終日は街中から車で少し走った所にあるビンギス公園でのコンサートでした。3千人ものコーラスの歌声が公園中に響き、夕方6時から10時くらいまで盛り上がっていました。
残念ながら会場には行けなかったのですが、行った家族は「凄い迫力」と言っていました。リトアニア国旗を振っている人もちらほら見受けられたとのこと。
会場に入りきれない人たちが公園中に溢れかえって大きな盛り上がりを見せています。
テレビ中継もあり、大統領や首相など国の要人たちも民族衣装を着て鑑賞している様子が映し出されていました。【歌と踊りの祭典】リトアニアに住みながらもこれまでに行った事がなかったのですが、ぜひ見に行きたいと思いました。